つま先立ちで見た世界に君は立っている。

 

 

いよいよ流星くんの10000字が回ってきましたね。

めちゃくちゃな個人的な話をすると私がクラシックを始めて日常ががらりと変わったのが10歳で、流星くんも入所して世界が変わったのが10歳。なんとなく同じ年齢で世界が変わったことに親近感を抱いていて、あの頃わたしもいろんなことを小さいながらに感じて過ごしたけど流星くんは何を感じてきたのだろうとすごくきになっていたので、今回の10000字は普通に気になるな、の気持ちだった。

 

 

よく色んな媒体で聞く、初めてSexyZoneのライブを見て衝撃を受けた話。ライブという生ものに触れた時の衝撃ってなかなか強いものだなと思う。

ライブって本当にたくさんの人たちのエネルギーを合わせて作ったものに当日入った観客のエネルギーも合わさって、その場にいる人「しか」味わえない非日常と力を感じる場所だなと思う。そんな所に、偶然ついていくことになり衝撃を受けて「こうなりたい」と感じたこと、とても「私が知っているアイドル大西流星」だなと感じた。私は流星くんのアイドルらしいところに惹かれているけれど、始まりからアイドルみたいな大西流星さん、本当に大正解だ。それだけでも正解なのに、課題曲が好きな曲だったこと、気づいたらセンターで踊っていたこと、キラキラアイドルのシンデレラストーリーみたいだなと。シンデレラにとってガラスの靴を落とすことが流星くんでいうとダンスだったのかな、ダンスがあったから色んな人に気づいてもらえたのかなと思う。

本当に小さい頃の練習って死ぬ程つまらなかった、流星くんはどうかは知らないけれど、私は小さい頃練習するのが本当に嫌いで。土日や放課後はみんな遊んでる中自分だけしんどい事をしてるのが嫌で仕方なくって。流星くんも多分練習つまんないなって、思う瞬間があったと思う、だけどもそれが技術になるまで、得た技術を使うことが楽しいと思える瞬間まで続けていた事を真剣にすごいなあ、と思った。そしてそれが仕事になっていることも。流星くんは一握り側の人間なんだよなといつも感じて、尊敬の気持ちでいっぱいになる。

流星くんのJr.人生って本当に誰か脚本家いた?と思うほどドラマみたいだなと思っていて。オーディションもそうだけれど、入ってすぐに憧れの人を身近に感じるということもすごく良かった事なのではないかなと思った。目標は大きいものを持っていた方がやり甲斐はあると思う、だけれどあまりにもその目標が遠いと現実と自分の乖離に苦しむわけで。流星くんの「佐藤勝利」というアイドル像はあの時の流星くんにとってはとても遠いものではあったはずだけれど、存在を近くに感じることができると「こうなりたい」のビジョンが明確になる気がしていて流星くんにとってこうなりたいが明確化して見えたこと、本当にラッキーだったんだろうなと思うし、今の流星くんのアイドル像にも佐藤勝利に憧れていたその頃の流星くんが描くものが見える気がする。

入ってすぐに目標が鮮明だった流星くんが直ぐにグループを組み、レギュラー番組に出ることになり小さな背中に一気に重みがかかった時、この時に流星くんの今のアイドルとしての戦力はグンと上がったのだろうなと思う。幼いながらに台本を写したり、カメラ割り表を見せてもらったり。幼さ特有の怖いもの知らずな気持ちとアイドルらしくいたいという気持ち、今もあまり変わっていないように感じるこの気持ちと行動たちが彼を育てたのだなと、今の私が好きな「今の大西流星」を形取るものをなぞる感覚になった。過去の動画を見返すときに感じていた、この流星くんが今の流星くんを作ったんだなという気持ちを、これから先、過去の動画を見るときにもっと深く感じるとおもう。そして、やってきた焼け野原と呼ばれた頃の話。ここら辺の話をした流星くんに私はとても人間味を感じた。平野と永瀬を羨ましいと思う気持ちも、お客様がちゃんと入ってくれるかの不安も。今まで割ととんとん拍子に進んでいたからこそ感じる今に立ち止まっているようなもどかしさも、焦燥感も。自分が先輩達がひいてくれたレールを歩いていたんだなという気付きと、小さな絶望感も。私も感じたことあるような芸事特有のドロリとした感情が流星くんもあったかもしれないんだなということに人間味と、味わっていいのかよくわからない親近感を感じている。

「なんでもっと早く産んでくれなかったの!」というどうにもならないことさえ悔しくて焦って。でもそれほどに必死で。流星くんの過去に私のちっぽけな過去を重ねて、なんだか苦しくなった。

その後も自分は競い合うステージにすら立てないことも、スケジュールは空いているのに自分は呼ばれなかったことも。今思えば自分が選ばれなかった理由なんてさらっと分かるのにわからない程に没頭して本気だった流星くん。自分がなりたいものはすぐそばなのに届きそうで届かない。選ばれたあの人も自分も同じ練習室に来て、同じ舞台に立って。同じ事をこなしているのに埋まらない何か。これに絶望感を抱いて辞める人も多い芸事の世界で自分のできる事をがむしゃらにやろう!と思えて、それを続けられた流星くんの強さが今のアイドルとしての大西流星の輝きになっているような気がする。そして流星くんの背中を押していたのはいつだって、流星くんと同じ時間を共有していた流星くんのファンということだったんだ。となんだか胸がいっぱいになった。

そんな中大きな変革がもたらした流星くんの成長。初めて西畑と離れた環境に立ち、もう一緒にならないかもしれないという覚悟を抱いて走り抜けた日々、走り終えた先にあった「なにわ男子」というグループで、これからどうしていくのか迷って、自信を失った過去。新しい環境に置かれた中で少しずつ自分の立ち位置を、居場所を見つけた流星くん。その流星くんのもがいた日々のどこかの細い糸のような光がファンの存在であればいいな、と願ったり。

 

 

 

流星くんのデビューまでの道のりに親御さんがよく出てくるの、個人的にすごく好きで。車の送り迎えの話とか、進路の話とか。子どもというか、未成年というか、なんというか幼い時期の芸事って、先輩だったり師匠との結びつきも厚いけれど、それ以上に親との二人三脚というか、親のサポートがかなり必要で重要になっている気がする。流星くんがやりたい事を応援してくれて、一緒に一喜一憂して背中を押してくれて、デビューが決まったときに心から喜んでくれて、今も良い関係な事がとても素敵だなと思う。そしてご両親との二人三脚で、頑張ってきた長い道のりを実にできた流星くんを尊敬するし、ものすごく羨ましいと思う。私は院試に落ちて就職をした事をきっかけに音楽をパタリとやめてしまった。わたしも色んなところにレッスンに行くために遠い送り迎えだったり、新幹線に乗っていくようなコンクールだったり、かなり親と二人三脚で続けていた。お母さんが酔った時とかにふと言う「あかりが音楽をしていた頃、私も本当に楽しかった」「いまだにあかりがステージに立っていた時を夢に見る」という言葉がずっとわたしの中でつっかかってて。一緒に頑張ってきた道のりを簡単に断ってしまった劣等感が、形は違えど実にした流星くんを羨ましくて仕方ないと言っている気がする。流星くんを好きな理由の一つに、「わたしができなかった、叶えられなかった事をやっている」というのがあるんだろうなと思う。

でも流星くんが夢を叶えることができたのは叶えられなかった人以上のガムシャラの努力があったから、それは忘れたくないなと思う。

 

 

デビュー前だったら叶わなかったお仕事たちにワクワクしながら、キラキラと輝く姿を見せてくれる流星くん。大好きで大切なメンバーとこれからも走る先が、流星くんの思う「制服とピンクが似合う」キラキラとしたアイドルであるといいな。

流星くんのアイドルとしての輝きは、ずっとがむしゃらに努力を重ねてできた丁寧な輝きだったんだなと今回の10000字で思ったし、私の小さな応援もいつか、これから先の流星くんがもっと輝いていく力に、なれればいいな。と思う。

流星くん、ずっとアイドルでいてくれてありがとう。